この分野をよく知らない人が多くても、依然としてずらりと本屋に並ぶ、いわゆる「プラス思考」「自己啓発」本。
精神世界のコーナーに置かれてる事が多いですねー、後はエッセイとか、何故か占いのコーナーとかにあったりする。
で、ついつい「誰々の著書コーナー」みたいなものが、自宅の本棚にも形成されて行ったりたりして(笑)。
まあ、私は本当に、自分のカンだけで生きてるような人間なんで、パッと目次と本の雰囲気見て「これは必要かも」と思った本のみ、購入してます。
だって、他の蒐集趣味の鉱物が、モノによっては高いから。集めるのにも金が掛かる(苦笑)
本題。
プラス思考、と言う言葉が出てきたのは一体いつ頃なのか正確にはわかんない。
でも、まあ、要するに
「物事を何でも良い方に捉える事で、人生の幸運がどんどん訪れるよ」
と言った考え方ですねー。
ちょっと暴論っぽいが、要約するとこの一言に尽きるのではないのかしらん。
まあ、その時は良いかも知れないけれど、これってその時の気休め以外の何ものでもないと思う、ハッキリ言って。
何でって、起きた出来事自体は歴然たる事実だから。
まあ、その出来事の重要性にもよるけれどね。
こっちの考え方だけで進んで行っちゃうと、どうして自分がこうなったのか、客観的に判断する能力が失われてしまって、同じ失敗を繰り返す危険性があるのよね。
例えば、人生上の大きなイベントを例えてみると。
一人一人育てている並木の中で、自分が大事に育てていた木だけが、朝見たら切り株になっていたとする。
でも、放っておいても自然の力で、まれに切り株から若木が生えてくる事もあるけれど、その時は凄く混乱するかも知れない。
「どうして自分の木が切られたんだろう・・・?」とか、「誰だ、こんなひどい事した奴!!」とか、普通は怒るか絶望したりするもんだ。
ここで、一般的なプラス思考的に捉えれば、
「凄くショックだけど、並木の中でかなり目立つから良いかも知れない」とか「ここは悪戯で切られやすい場所だから、別の所で育てれば良い、ここよりずっと素晴らしい木に育つかも知れない」とか、そんな感じになるんではないか。
確かに、この出来事は、目立ったり、ここよりずっと良い舞台に立つチャンスなのかも知れない。
でも、大事な事は、木を切った人(出来事)の存在。
「切ってくれてありがとう」だけでは済まない、思う以上の自分の欠点で、他人に今までずっと何らかの迷惑をかけていたのかもしれない。
そして、その事件を通じて、そういった「ゼロではないマイナス理由の可能性」が厳として存在すると言う事を示唆してるかもしれない。
例えばこういう場合でも、よくあるプラス思考ではまず、どうしてこんな事されたかを考え(させ)ないわけ。
でも、マイナスの考えすぎも良くないと思うけど。
特に、一旦悪い方に考えると、どどどーーーっっと雪崩みたいに歯止めがきかなくなってしまうから。
程ほどに、と言われてもやっぱり、抜け出すのは難しいわな;
例え、上の木の育て主が、別の所で木を育てようとしても、本人自身の性根が変わらなければ、やはり周囲との不調和は何も変わらない訳で。
最初は何もされなくてもどこかで足を引っ張られ、大事なものや自分が傷つけられると言う事を繰り返してしまうと思う。
確かに、マイナス思考は人に嫌われます。
でも、自分に起こった事を直視もしないままに楽観視すると、自分の欠点にも気付かないのでやはり人に嫌われ、環境を変えても同じような事を繰り返して、結局失敗すると思う。
私の場合でも、ある出来事で自分の悪い考え方の癖に気付いて、しばらく自己嫌悪に陥りましたわ・・・
でも、あの出来事が無かったら、もっと親を苦労させたんだろうな(汗)
けれど、親に「やっと気付いてくれてもう、何よりの宝物」と言われたのが印象的だった。
これは、大きなショッキング出来事の場合だけれども、小さい事でも、思い当たる事があれば、自分が気付いて直すように勤めるべき。
そっちの方が自分の嫌な性格も直せるし、性格が引き起こすケースの失敗は、その後は回避できるんじゃないかな。
そして何より、他人から見た自分の嫌な性格が直ったら(またはその努力が他人に分かるものなら)、現実的な交流においてもそんなに深く考えずに済むし、場の空気も読めて上手い具合に自分を表現できると思う。
自宅で『○○さん著のコーナー』がすっかり出来上がっている人も、少し自分の本音で、その人たちの言ってる事を「これはやっぱり正しいと思う」「これはいくら何でも無理ではないの」と言う感じで振り分けてみればどうかな。
私はそうしてます。
そして、本に書かれていることの殆どを実行している人は、あんまり自分の意思で動いていない事実に気付いてるかな?
“確かに実行しているのは私。
でも、「○○さんの本」に載ってるのを実行してるから・・・”
・・・であれば、それはプラス「思考」者ではなくプラス「信仰」者。「著者の信者」になってるのね。
本来、こういう内容の本は崇める類のものではないし、書いているのも神様とかでは無く私と同じ人間。
だからもし、「効果」が出なければ、著者叩きが始まるのは目に見えている。
元々、皆幸せになりたくて、その目的でお金出してまで本を買ってるんだけれど。
なのに、逆に悪い展開としか思えないことが続いたらもう・・・全部、著者のせいになっちゃう訳ですね。インチキ、詐欺師のレッテルも貼られるわけで。
私は別に、「アンチプラス思考」でも無いんだけど(何冊か買って読んでるし・・・殆ど図書館から借りて来るけれど)。
でも、そのポジティブな考え方を、尊敬はしてもいいけれど、心酔し過ぎて『信者(つまり“この人の理論と体験談は絶対!”と思い込んでる人)』になると後で、トンデモない事態に陥るかも知れませんよ(成り上がってキャッチなどを登録商標にしちゃったり、教祖様になってるような人は個人的にかなり引きます・・・;)。
そもそもこういうものの殆どは、「法則」ではなくて、あくまでマスコミ経由で伝えられる、いち個人の「経験を踏まえた理論」の範疇を出ません。
だから、個人個人が読んでいて、「これはちょっと・・・」と言うものがあっても、別におかしくも何ともない。
適度に、上手に、その著者の「理論」を使いましょう。
もちろん、私のこの「理論」?も、例外ではないです(苦笑)。